2012年05月08日

◆ 「銃・病原菌・鉄」への私見2

 「銃・病原菌・鉄」というテーマについて、著者とは別の視点から考えてみる。私なりに。 ──
 
 「銃・病原菌・鉄」への私見1 では、著作についての私見を章ごとに述べた。
 本項では、「銃・病原菌・鉄」というテーマについて、著者とは別の視点から考えてみる。

 ──

 《 銃・病原菌・鉄・馬 》

 「銃・病原菌・鉄」というが、第3章を読んでもわかるように、これに加えて「馬」も重要だ。だから、「銃・病原菌・鉄・馬」がテーマだと言える。この四つについて論じよう。


 (1) 「病原菌」

 「銃・病原菌・鉄・馬」という四つのうち、「病原菌」については前項で述べたとおり。「病原菌だけでなく、虐待による免疫力低下や、意図的な感染行為も、重要な要素だ」という趣旨。
 

 (2) 「鉄」

 「銃・病原菌・鉄・馬」という四つのうち、「鉄」について論じよう。
 「鉄」について言えば、その優位性は「欧州とアメリカ大陸」との間では成立したが、「欧州と中国」との間では成立しなかった。中国や日本でも、鉄はできていたからだ。(歴史的にも、「青銅器時代」や「鉄器時代」がある。それから取り残されているのは、アメリカ大陸ぐらいだ。)
 だから、ことさら「鉄」を重視する必要はない。スペイン人がインカを滅ぼした理由は「鉄」ではない。「鉄だ」と主張するためには、次のことが必要だ。
 「スペイン人軍団とインカ人軍団が対立した。前者は鉄で武装していたが、後者は青銅で武装していた。鉄と青銅で対抗したら、鉄の方が圧倒的に強かったので、168人しかいない鉄の軍団は、8万人の青銅の軍団を打破した」
 このようなことは、なかった。また、あるはずもない。ゆえに「鉄」は重要な要素ではない。
( ※ この件については、本項末の 【 追記 】 でも解説する。)


 (3) 「銃」

 「銃・病原菌・鉄・馬」という四つのうち、「銃」について論じよう。
 「銃」は、実は、あまり意味がない。というのは、弾の数が限られているので、すぐに弾切れになるからだ。インカでも 7000人を殺したのは、銃ではなく、刀剣だった。こちらはさすがに弾切れにはならない。
 というわけで、スペイン人のインカ征服の理由に「銃」を持ち出すのは、意味がない。そもそも、銃が役立つのは、「軍 対 軍」の戦いのときのみである。「軍 対 一般人」という形の「征服」のときには、銃は役に立たない。銃で皆殺しにするわけには行かないからだ。
 銃が役立ったのは、「刀剣の軍団に銃の軍団で対抗する」という場合のみだ。日本では信長の例がある。一方、インカ征服の場合には、そうではなかった。

 ついでだが、昔は、世界最大の銃の保有国は日本だった。日本刀の鍛造技術が優れていたせいで、たちまち世界最大量の銃を保有するようになった。
 15世紀中頃から日本は長い内戦状態(戦国時代)にあったため、豊臣秀吉の指揮下には実戦で鍛えられた50万人の軍隊がいる状態となっており、これは当時のアジアで云わば最大の軍隊であった。1543年の鉄砲伝来で日本に持ち込まれた火縄銃(マスケット銃)は、その後直ぐに国産化され日本国内で普及していた。当時の貿易取引書からの推計で戦国時代末期には日本は50万丁以上を所持していたともいわれ、当時世界最大の銃保有国となっていた。
( → Wikipedia

 しかしながら、世界最大の銃保有国となっていたからといって、それによって日本が世界を侵略したわけではない。秀吉の朝鮮出兵は失敗した。なぜか? 銃では上回っていたが、水軍の戦力では劣っていたからだ。補給路を断たれ、結局は敗北した。
  → 秀吉の朝鮮出兵はなぜ失敗したのか
 というわけで、「銃さえあれば有利だ」ということは、成立しないのだ。そういう発想は、「銃は素晴らしい」と考えるアメリカ人の発想であるにすぎない。アメリカ人である著者は、あまりにも銃を過大視しすぎているのだ。(銃によってインディアンを征服する西部劇の見過ぎかもね。)
 
 なお、欧州でも、銃はさして大きな影響はなかったようだ。どちらかといえば、大砲の方が大きな影響をもっていただろう。そして、銃や大砲に共通するのは、「火薬」だ。こちらの方がずっと重大だ。この件は、後述する。


 (4) 「馬」

 「銃・病原菌・鉄・馬」という四つのうち、「馬」について論じよう。
 馬については、「馬が軍事的に有利だった」ということは、かなり成立する。実際、インカ征服の場合にも、馬は重要な要素だった。(本書に記してあるとおり。)
 ただし、馬が最も軍事的に影響力を持った例は、「スペイン人がインカ人を征服したとき」ではなくて、「モンゴル人がヨーロッパ人を征服しかけたとき」であろう。これについて説明しよう。
 オゴデイ(チンギスハンの三男)が、欧州を侵攻したとき、欧州人はモンゴル人の騎馬軍団になすすべもなく次々と打破されていった。馬に乗ったモンゴル人の侵略を受けて、ヨーロッパ全体は侵略される寸前だった。そこへ、偶然、オゴデイの死という知らせが届いて、モンゴル人は一挙に祖国へ戻った。おかげで風前の灯火だった欧州の命運は救われた。もしオゴデイの死という偶然がなかったなら、欧州はモンゴル人の支配下になっていたかもしれない。
 モンゴル軍はこの戦いの後ポーランドを席捲し、バトゥ率いる本隊の先鋒は一時オーストリアのウィーン近くまで迫るが、モンゴル皇帝オゴデイが急死したことによって撤退した。 皇帝・オゴデイが急死していなかったら、次の遠征でモンゴル帝国にヨーロッパは滅ぼされていただろうとする意見が、学者の中では主流である。
( → Wikipedia

 同様の話は、下記にもある。
  → 参考文献1参考文献2参考文献3
 「馬が軍事的に有利だった」ということが典型的に現れるのは、このときだ。それはヨーロッパ人の優秀さを示すのではなく、ヨーロッパ人の軍事的な弱さを示す。そういう典型的な歴史的事例があった。

 一方、インカの場合には、馬はあまり関係なかっただろう。8万人と168人なら、馬がいくらあっても、影響力はたかが知れている。たとえば、火を付けるとか、大きな音を出すとか、そのくらいのことで馬は怯える。 大きな横棒を使って馬を止めることもできる。……だから、ここでは最大の理由は、馬そのものよりも、馬というものを見たことがなかった文明的な驚きが理由だっただろう。
 ただ、「馬というものを見たことがなかった文明的な驚き」というのは、著者のいう「アメリカ大陸には馬がいなかった」ということが重要なポイントとなる。それでも、その利点を最大限に発揮させた理由は、ヨーロッパ人の「悪質な残虐性」であろう。仮にヨーロッパ人がそのような「悪質な残虐性」をもたなければ、インカ人とは友好関係を持てたはずだ。ちなみに、日本人は、昔の欧州人が難破して漂着したときに、ていねいにもてなしている。このときの欧州人は、日本人に感謝して、帰国した。日本人を皆殺しにしてやろうとは思わなかった。( → 参考文献

 なお、馬が歴史上において大きな意味を持ったのは、オゴデイの例だけではない。馬を使う遊牧民が歴史を大きく動かした例は、他にもある。たとえば、モンゴルの遊牧民による中国侵略がそうだ。「元」や「清」など。また、馬のかわりにラクダを使った例では、ペルシア人がローマ人を打破した例(カルラエの戦い)がある。馬でもラクダでもいいが、とにかく、家畜が歴史を大きく左右した例があるのだ。
  → パルティアンショット
 それに比べれば、インカ征服の例における馬の重要性は、はるかに小さい。
   

 結論。

 結局、以上からわかるように、「銃・病原菌・鉄・馬」という四つは、あまりたいした意味を持たない。
 著者の話の核心は、「食料生産力の違いが文明の発達の差をもたらした」ということであり、それは確かに妥当なのだが、そこに至る途中で示した「銃・病原菌・鉄・馬」という四つは、ピンぼけなのだ。
 つまり、「文明の理由」として「食料生産力」を示したのは妥当であるが、「文明」そのものとして「銃・病原菌・鉄・馬」を象徴的に示したのは妥当ではない。
 では、「文明」そのものとして象徴的に示すものは、何か? 「銃・病原菌・鉄・馬」ではなく、かわりに何があるのか? 


 《 文明の象徴 》

 文明の象徴は何か? 「銃・病原菌・鉄・馬」でなく、かわりに何が文明の象徴になるか? これについて、私の見解を示そう。

 そもそも、人類の三大発明は、火薬・羅針盤・印刷術だと言われる。(歴史の常識だ。)
  → 三大発明 火薬・羅針盤・印刷術
 実は、この三大発明は、「ルネサンスの三大発明」と言われるが、それ以前に中国で四大発明がなされていた。(残りの一つは「」の発明。)
 著者は、「銃」と「馬」をやたらと重視する。だが、「銃」よりも「火薬」が大切であり、「馬」よりも「羅針盤」が大切である。「銃」は「火薬」から生じたものであるし、「羅針盤」はヨーロッパ人をアメリカ大陸に運んだのだ。

 中国の四大発明がアラビア経由でヨーロッパに伝えられた。そしてヨーロッパでは、これらの発明を上手に利用することで、アラブ人をしのぐ発展をなし遂げた。(ルネサンス期の発展。)
 そもそも、ルネッサンスという言葉からして、それは「ギリシア文明の復興」を意味した。つまり、中世のキリスト教国家の成立で、いったん破壊されたギリシア文明が、14世紀になって復興したのである。(ルネッサンス期。)
 今日では、そういう「復興」は、14世紀だけでなく、もっと前の時代でもなされていたと判明している。特に重要なのは 12世紀ルネッサンスだ。この時期、欧州で失われたギリシヤ文明は、アラブ文明(のなかにあるギリシア文明)からの翻訳という形で、ふたたび欧州に流れ込んだのである。
 この時代,十字軍によってヨーロッパの勢力がレバントへ拡大したが, 文化的には逆に優れたイスラム文化およびその地に保存されていた古代ギリシア文化がヨーロッパに大きな影響を与えた。 たとえばアリストテレスの主要な作品がラテン語訳され, ヨーロッパで利用可能となったのも 12 世紀のことである。 ユークリッド,プトレマイオス,あるいはアビセンナ (イブン・シーナー) などもギリシア語, アラビア語からラテン語に訳された。
 スペインやイタリアにおけるこのような大規模な翻訳活動があって初めて〈12 世紀ルネサンス〉と呼ばれるヨーロッパの文化的革新が生じえたのである。
( → 世界百科事典「地中海」

 このようにして、アラブ経由で欧州には文明が流れ込んだ。つまり、ルネサンスが起こったのは、ヨーロッパ人が優秀だったからではなくて、その当時の先進的だったアラビア文明が、翻訳の形でヨーロッパに伝わったからなのだ。( → Wikipedia
 ルネッサンスの先端地は、ヨーロッパ南部のイタリアであった。それは偶然ではない。その地がアラブに近かったからだ。こういうアラブ文化の影響があったのだ。それを忘れてはならない。(そしてまた、アラブ文化に影響した、中国の四大発明も忘れてはならない。)

 著者はやたらと、「ヨーロッパが発展したのはなぜか?」と問題を提起して、「それは環境のせいだ」と結論する。しかし、その問題提起そのものが、根本的に狂っている、と言えるだろう。では、正しくは?
 実は、ヨーロッパは独自に発展したのではない。ヨーロッパは、中国やアラビアやギリシアの影響を受けて、その果実を得たからこそ、発展することができたのだ。だから、「ヨーロッパが発展した」という認識そのものが狂っている。むしろ、こう認識するべきだ。
 「人類は世界各地が影響しあって、人類全体として発展した。ただし、その発展は、ヨーロッパにおいて特に豊かな成果を得た。世界各地の恩恵を最も受けたのがヨーロッパだった」

 ここから得られる結論は、「ヨーロッパは優秀だった」ということではなく、「ヨーロッパは他人に最も感謝するべきだ」ということだ。中国の四大発明などの恩恵を受けて、最も発展することができたのがヨーロッパなのだが、それは、ヨーロッパは優秀だったからというより、優秀な他人の知恵をうまく盗むことができたからだ、というようなものだ。とすれば、自力では得られなかった知識を与えてくれた他者には、感謝していいはずだ。
 なのに著者は「ヨーロッパ文明が優秀だった。それは環境のせいだった」なんて述べて、「ヨーロッパ文明は優秀だった」というのを疑いなく容認している。それはまるで、親のおかげで育った子供が、親に育ててもらった恩を忘れるようなものだ。「僕がこんなに優秀なのは、もともと頭がいいからだよ」というふうな。まったく、恩知らずだ。

 繰り返す。私の認識は、こうだ。
 「人類は世界各地が影響しあって、人類全体として発展した。ただし、その発展は、ヨーロッパにおいて特に豊かな成果を得た。世界各地の恩恵を最も受けたのがヨーロッパだった」

 その意味で、著者の立てた疑問は、初めから狂っている。それは、完全な間違いではないが、相当ピンぼけである。

( ※ とはいえ、本書全体の価値が損なわれるわけではない。何も語らない人々に比べれば、ちょっとぐらいピンぼけであっても、真実をおおまかにつかんでいる著者は、立派なものだ。ただ、私としては、ちょっとイヤミを言っておきたいわけだ。「あんまり自惚れなさんなよ」と。)
( ※ ま、やたらと競争ばかりを重視するのは、ダーウィニズムの悪い点だ、とも言える。「優勝劣敗で歴史は進歩する」みたいな発想ばかりを取って、「みなの共同の力で発展する」というような発想が抜けている。アメリカ人というのは、特にその傾向が強い。)
 

 《 中国との比較 》

 本書で説明されているのは、他の後進国地域(南北アメリカ・アフリカ・ニューギニア)に比して、ヨーロッパが優位だったことの理由だ。(優位 = 文明発達あり)
 しかしながら、「ヨーロッパが中国に対して優位だった」ことの理由は説明されてこなかった。このことは著者もわかっていて、話をすべて書き終えたあとで、「エピローグ」という章で、簡単に述べている。章名からも明らかなように、付け足し的な扱いだ。
 その内容は、先に 私の書評による「要約」として示したが、再掲すると、次の通り。
 なぜ中国でなく欧州の文明が発達したのか? 中国は最初から最後まで肥沃な土地だった。しかも平坦な地形だったので、国家的な統一が強固に進んだ。そのなかで皇帝は船団の派遣を停止した。だから外国を植民地化できなかった。一方、欧州は地形が複雑だったので、各地は分断され、言語も政治も独立化していった。そのせいでコロンブスの大西洋横断は、三人の君主に断られても、四人目の君主に認められたので、実現した。結局、地理的な統一は、強すぎれば中国のようになり、弱すぎれば南北アメリカのようになる。その中間の欧州のような状況でのみ、大西洋横断のような技術発達が可能となる。

 要するに、次の対比だ
  ・ 中国 …… 政策の多様性なし ← 国家統一 ← 平原の地形
  ・ 欧州 …… 政策の多様性あり ← 国家分立 ← 複雑な地形(山,谷)

 なるほど、こういう説は、いくらか成立するだろう。しかし,どうも説得力が弱い。だから著者も、「それなりの説明」として記すだけで、あくまで「エピローグ」という形で示すだけにしたのだろう。

 ──

 私の見解を言おう。
 「ヨーロッパが中国に対して優位だった」
 という話題は、非常に重要な話題なのに、著者はこれについてあまりにも軽く論じすぎている。文明の問題について、「食料生産力が重要だ」というのは、十分に正しいのだが、こと「ヨーロッパと中国」という対比に移ると、話はまったく成立しなくなる。というのは、中国には十分な食料生産力があったし、それどころか、中国の方が食料生産力は大きかったとすら言えるからだ。(近代以前においても中国の人口は多大だった。)

 だから、文明の問題について、「食料生産力が重要だ」というのは、後進国との対比では成立するのだが、中国との対比ではまったく成立しないのだ。つまり、著者の主張は、ここでは成立しないのだ。……このことを認めることが第1だ。
 そして、その上で、「ヨーロッパと中国」という新たな問題に移る。これは、本書の範囲を超えた話題だ。
( ※ 逆に言えば、「本書の範囲は、欧州と後進国との対比だけであり、中国は除外されている、と見る方がいい。)

 ──

 では、「ヨーロッパが中国に対して優位だった」という話題に、どう答えるか?
 実を言うと、この話題自体が、いくらか不正確である。というのは、「ヨーロッパが中国に対して優位だった」ということは成立しても、「ヨーロッパが日本に対して優位だった」ということは必ずしも成立しないからだ。
 近代以前において、世界文明は大陸の両端で発達した。一つは欧州であり、もう一つは日本だ。日本は、戦国時代には世界最大の銃保有国となった。日本刀の冶金技術は欧州をはるかに凌駕した。江戸時代には、長い平和のなかで、和算などの学問も発達した。寺子屋があり、子供も勉強をした。……このように日本は十分に文明的であった。(だからこそ開国するとたちまちにして欧米に追いつくレベルになった。)
 このように日本では文明が十分に発達した。このことは、日本と欧州の「平行進化」として、梅棹忠夫が説明したことで知られる。
  → 梅棹忠夫「文明の生態史観ほか」( Amazon 書籍)
 日本の江戸時代を見れば、次のことがわかる。
 「日本は国家的に統一された平和な状態で文明が発達した」

 このことは、「統一は文明発達に不利だ」という著者の説を否定する。なるほど、「統一ゆえに個人が抑圧される」ということはあるだろう。だが、中国がそうだからといって、日本もそうだったわけではない。日本では自由な気風のなかで個人は解放されていた。
 そもそも、「統一よりも分断の方が自由が保たれて多様性ゆえに発達する」という発想は、著者があまりにもアメリカンな発想を取っているからだ。「連邦政府による統一よりも州権力が分立していた方がいい」というふうに。しかし、そんなことは特に成立しないのだ。

 ──

 結局、著者の見解とは違って、「統一は必ずしも不利にならない」とわかった。日本の例を見ることで。
 ではなぜ、欧州は十分に発達したのか? なぜ、中国や日本やアラビアではなくて欧州が? 
 私の見解を言えば、次の通り。

 欧州が中国や日本やアラビアに対して圧倒的に優位に立てた理由は、科学技術の発達があったからだ。特に、産業革命(蒸気機関の発達)が重要だ。その他、いろいろと工業技術が発達していった。工業技術の発達の背景には、その基礎となる科学技術の発達があった。
 ではなぜ、欧州では科学技術の発達があったのか? 私の見解では、それは、ルネッサンスのときの発明の一つである「グーテンベルクの印刷術」が決定的に重要だ。印刷術のおかげで、書物の大量普及が可能となった。このせいで、読み書きのできる人々が増えたし、知識の蓄積も充実していった。
 グーテンベルクの開発した印刷システムは急速に普及して、大量の印刷物を生み出し、ルネサンス期における情報伝播の速度を飛躍的に向上させた。
( → Wikipedia

 それだけではない。印刷術は「言語の形成」さえなし遂げたのだ。どういうことかというと、それ以前では書籍は(外国語である)「ラテン語」の書籍だけであったが、印刷術の登場とともに、「ドイツ語」の書籍も出現するようになったからだ。印刷術は「ドイツ語」の形成にも大きく関与したのである。
 ルターの手によるドイツ語聖書が、近代ドイツ語の成立において重要な役割を果たした
( → Wikipedia

 これはドイツにおける出来事だったが、他の国でも同様だった。それまでは「ラテン語」という形で一部の層だけに留まっていた知識が、「その国の言語」という形で大衆に普及することになった。このようにしてグーテンベルクの印刷術は、「言語の形成」「知識の普及」「知識の蓄積」という多大な影響をもたらした。それは今日におけるコンピュータの出現をはるかに上回る歴史的な大事件であった。

 ここで問題だ。グーテンベルクの印刷術は、なぜ欧州で起こったのか? なぜ中国では起こらなかったのか?
 実を言うと、活字印刷はグーテンベルクが世界初ではない。中国ではグーテンベルクの印刷術よりも前に活字印刷があったのだ! ただし、あることはあったが、普及しなかった。
 活字を並べた組版による印刷では、11世紀、北宋の工人畢昇(ひっしょう)の名が知られる。
 確かな記録が残るものでは、高麗の『詳定礼文』(しょうていれいぶん)が挙げられる。この書物の跋文には、同本を、1234年 - 1241年頃に、鋳造による活字で28部印刷したことが記されている。なお、現物は失われている。また、高麗開城の墓からは、この時代のものと考えられる銅活字が見つかっている。
( → Wikipedia

 つまり、グーテンベルクの印刷術は、欧州では多大な影響をもたらしたのだが、それは世界最初の発明ではなく、中国ではもっと前からあったのだ。だから、印刷術それ自体が文明の発達をもたらしたのではない。では、何か? 

 ここで私見を言えば、こうだ。
 「中国では活字印刷が発達しなかったのに、欧州では活字印刷が発達した。その理由は、欧州の言語が表音文字を使うからだ。そのおかげで、アルファベットの大文字・小文字および数字で、合計 62種類があれば足りた。一方、中国や日本では、あまりにも多大な活字が必要となった。それゆえ活字印刷術には限界があった。(どちらかといえば手彫りの木版印刷が多用された)」
 
 なるほど、江戸時代にも、かわら版みたいな印刷物はあったし、黄表紙みたいな絵本もあった。しかしやはり、それは大量普及には適していなかった。実際、明治2年に金属活字が導入されると、まもなく大量の書籍が発刊されるようになった。たとえば、これだ。
  → 女学雑誌 ( Wikipedia

 つまり、いったん金属活字の技術が完成されて導入されると、そこでは漢字の活字もつくれるようになる。しかし、初期においては、金属活字で漢字を作ることは困難であった。それゆえに、アルファベットでは金属活字が導入されたが、漢字では金属活字が導入されなかった。(木版ばかりが利用された。)
 結局、「表音文字か/漢字か」という違いが、(金属)活字印刷術の普及の有無をもたらした。それが、その後の科学技術の発達の有無に結びついた。……それが私の見解である。
( ※ 今日のように活字印刷術が普及したあとでは、理解しがたいことかもしれないが、初期においては、そういう違いがあったはずだ、と推定できる。)
 
 なお、アラビア語もまた、表音文字である。ではなぜ、アラビアでは文明があまり発達しなかったか? これもまた、「活字印刷が盛んでなかったからだ」と推定される。次の説明がある。
 中東地域への印刷技術の伝来自体は非常に早く、15世紀末にイベリア半島を追放されてオスマン帝国へと亡命してきたユダヤ教徒(セファルディム)が、1493年にオスマン政府からヘブライ文字で印刷を行う印刷所の開設を許可されている。その後も、アルメニア正教徒など、非イスラム教徒の間で印刷は次第に広まった。1588年には、ヨーロッパで印刷された書籍の輸入がアラビア文字のものも含めて許可されたが、イスラム教徒たちは自分たちの手で印刷を行おうとはしなかった。
 イスラム教徒が印刷技術の導入に消極的だった原因については様々な理由が挙げられている。例えば、イスラム教徒の伝統的な学問では、知識は師弟相伝の記憶によって伝えられることが重視されていたことが指摘される。
 文字の美観の問題も見逃すことはできない。19世紀頃までヨーロッパで使用されていた活字はのっぺりとして不格好であり、美しい筆跡の写本を愛好するイスラム教徒の審美眼に適うものではなかった。
 18世紀に顕著となったオスマン帝国のヨーロッパ諸国に対する軍事的な弱体化を背景に、ヨーロッパ式の軍事改革と科学技術の導入が不可避となった結果として、オスマン帝国でも、印刷によって書物を大量生産し、知識を普及する必要性がようやく認識されたことになる。
( → アラビア文字活字印刷の普及

 つまり、活字はあっても使われなかったのだ。文字の形が筆記に適した形であったため、好みゆえに活字が嫌われた。活字が導入されたのは、「知識のためには活字が必要だ」と理解されたあとのことだった。(活字が使われたあとでは活字の重要さがわかるが、活字が使われていない時点では活字の重要性がわからなかった、ということ。よくある話。)
   
 というわけで、文明の発達の有無をもたらしたのは、結局は、言語の違いによる。これは、「表音文字が表意文字よりも優れている」というような理由によるものではなく、ある種の偶然のようなものだ。
 「欧州人はたまたま表音文字を用いたのだが、そのおかげで文明が発達した。たまたまの選択が、うまく大きな効果をもたらした」
 というような感じだ。その意味では、文明の発達の有無は、ほとんど偶然のせいだった、とも言える。

 《 まとめ 》 

 以上をまとめると、次のように言える。
  • 銃・病原菌・鉄・馬」がヨーロッパ優位の理由だ、というのが著者の見解だ。しかしこれには賛同しがたい。
  • 病原菌は確かに影響力が大きかったが、他はそうでもない。
      ・ 銃は数が限られていたので、影響は大きくなかった。
      ・ 鉄は別に青銅に対して優位だったわけではない。
      ・ 馬の影響はむしろモンゴルの方が大きかった。
  • もっと影響が大きかったのは、「火薬・羅針盤・印刷術」だ。
      ・ 火薬は銃や大砲の基礎となり、影響は大きかった。
      ・ 羅針盤は航海の基礎となった。
      ・ 印刷術は文明発達の基盤となった。これが最重要。
  • これらの「三大発明」は、影響がとても大きかったが、ヨーロッパ独自で創出したものばかりではない。中国で発明されたものが、先端のアラビア文明を経由して、後進地域の欧州に伝わったというものもある。また、同じものは、中国では古くから発明されていたこともある。
  • 中国では活字印刷術が普及しなかったが、それは「表音文字/表意文字」という違いによるもので、ほぼ偶然のような理由だった。
  • 結局、文明というものは、偶然を除けば、ある地域で自力によって発達したのではなく、世界規模で交流することによって、共同的に発達したのである。

 世界の文明を見れば、それぞれの時期ごとに、文明の発達の差があった。かつては中国文明やメソポタミア文明が優れていたが、その後、アラビア文明が優れ、その後、欧州文明が優れ、現在ではアメリカや日本が優れている。欧州文明が優れていたのは、近代以後のことにすぎない。
 そして、欧州がそれだけの発達を得たのは、他の文明の成果をうまく利用できたからだ。なぜうまく利用できたかというと、著者の言うように「さまざまな国家が分立していたから」ということもあるだろうが、それは単に「阻害要因がなかったから」というだけのことだ。それよりはむしろ、「表音文字のおかげで活字印刷が容易だった」という効果が大きいだろう。このことゆえに、ルターによる宗教改革が進み、頑固な宗教的な体制を崩して、一般市民による市民文明が確立した。
 結局、文明を発達させるものは、人間の意識であり、人間の意識に最も影響力を持つのは、言語なのだ。特に、文字なのだ。それを普及させた活字印刷こそ、人類の文明の発達を最も左右したものだと言えるだろう。
 


 [ 付記1 ]
 活字印刷術の発明は、今日におけるIT技術(コンピュータやインターネット)と同様だと言えるだろう。知識が広い範囲で共有され、人々の意識が大幅に向上した。また、そのことで社会そのものを動かすようにもなった。(たとえばエジプトのムバラク追放という市民革命では、ネットによる情報共有が大きな影響力を持った。)
 ただ、IT技術は活字印刷術をバージョンアップさせた程度に過ぎなかったが、活字印刷術はそれこそ無から有を生み出すぐらいの影響力があった。それは人間を文明人と非文明人に区別するぐらいの大きな影響力があった。
 だから、「銃・病原菌・鉄」の著者がニューギニア人の質問に答えるなら、こう答えるべきだったかもしれない。
 「あなたたちニューギニア人には発達した文明がなかったのは、あなたたちには文字がなかったからだ。その理由はあなたたちが孤立していたからだ。孤立していた理由は、地形や環境なども影響しただろう。だが、今日では、ニューギニア人も文字を得て、文明生活を送るようになっている。地形や環境などは、発達の遅れをもたらしただろうが、発達の有無をもたらすほどではなかった。発達の有無をもたらしたのは、あくまでも、外界との交流の有無だったのだ」
 そして、そう答えたとき、自分自身の真実にも気づくだろう。
 「ヨーロッパ人が文明を発達させたことには、地形や環境なども影響しただろう。だが、何よりも大きく影響したのは、他の文明との交流だった。他の文明と交流することで、火薬・羅針盤・印刷術を得て、発達させた。そのおかげで、市民文明を発達させ、科学技術を発達させ、産業革命を通じて近代化をなし遂げた。欧州が発達したのは、近代化をなし遂げたからだが、その近代化は、他の文明との交流があったからこそ可能となったのだ。欧州の今日の繁栄は、地球規模での偉大なる歴史に負っているのだ」

 欧州人に何らかの特徴があるとしたら、それは、「素晴らしい文明発達をなし遂げたこと」ではなく、「素晴らしい文明を発達させたが、それをおのれの力だけでなし遂げたと自惚れること」にあるだろう。その尊大な自惚れこそが、欧州人の独自性だとも言えそうだ。(子孫としての米国人を含む。)
 本書の著者は、文明の歴史を説明するために、多くの科学的事実に着目した。それは決して間違いではない。ただ、そのとき、大きなものを見失ってしまったのだ。「他者との競争」にばかり目を奪われ、「他者との協力」には目をふさがれてしまったのだ。……ただ、それは、米国人らしい傾向だとも言える。米国人はインディアンを虐殺した歴史になかば目をふさがれているが、それと同じように、著者は何かに目をふさがれている。
 とはいえ、そのことで、私は著者を批判するつもりはない。そういうことも含めて、壮大なテーマと説明基盤を提供してくれた著者は、確かに偉大な成果を成し遂げたと思う。ただ、そこには、小さなキズがある。そのキズを知ることで、真実の全貌がいっそうよく見えてくる。
 実際、本書を読まなかったなら、私はこれらのことを深く考えることがなかっただろう。同様の話題については、いろいろと考察したことがあったが、これほど深く考えることはなかっただろう。
 その意味で、「真実を提供してくれたから」というよりは、「真実に至るための重要な道筋を提供してくれたから」という理由で、本書の重要性を示したい。また、著者にも感謝したい。
 一人の人間が完璧な書籍を書き上げる必要はない。多少のキズはあってもいい。それよりは、いかに大きなプラスをもたらしたか、ということが大切だ。本書は、ほとんど無のような領域に、独自の学究基盤を構築した。その成果は、いくら称えても称え足りないということはない。私としても、称賛を惜しまない。

 [ 付記2 ]
 文明の交流について、著者が書き落としている点があるのを、指摘しよう。それは、次のことだ。
 「ジャガイモやトウモロコシは、南北アメリカ大陸から欧州に流入したことで、欧州を飢餓から解放した」
 このことは、下記サイトに書いてある。一部引用しよう。
 ヨーロッパ の料理は大航海時代 の前後で大きく変わりました。特に大きな影響をもたらしたのが、南北アメリカ大陸 から導入された作物です。ジャガイモ ・トウモロコシ ・トマト・トウガラシ と具体名を挙げれば想像できることと思います。
 ジャガイモ は原産地がアンデス の高地なので、低温・乾燥・やせ地に強く、北ヨーロッパ の主食の地位を手に入れ、ヨーロッパ を飢餓から解放しました。トウモロコシ は家畜の飼料に最適で、畜産物 の増産が可能となり、肉料理が増えました。
( → 出典

 この件については、本書は第10章で述べている。「南北アメリカは高低の差があるがゆえに、食料は南北に伝達しなかった」というふうに。
 ま、それはそれでいい。ただし、「ジャガイモなどが南北アメリカから欧州に伝達して、そのおかげで欧州は助かった」という点を、忘れるべきではない。
 欧州が有利だったのは、欧州が優れていたからでもなく、欧州の自然環境が有利だったからでもなく、他の地域から成果をもたらされたからなのだ。欧州がそれ単独で有利な立場を構築したのではないのだ。
 この意味でも、「ヨーロッパは他地域に比べて優位だった」という話の前提そのものが狂っている。ヨーロッパと他地域とはたがいに(孤立して)競争していたわけではない。交流していたのだ。というより、欧州が一方的に交流の成果を得ていたのだ。その意味でも、前述(付記1)の「発達の有無をもたらしたのは、あくまでも、外界との交流の有無だった」ということが成立する。
 
 [ 付記3 ]
 「文字や言語が重要だ」ということは、著者も論じている。ただし、その比重が、私よりもかなり軽いようだ。
 「地域間の交流が重要だ」ということは、著者も論じている。ただし、南北アメリカやニューギニアやアフリカについて論じるのは著者の通りでいいが、中国・アラビアと欧州との交流については記述が浅すぎる。著者の見解は肝心の欧州についてはあまり論じられていない。あたかも欧州文明はそれ単独で発生したかのようだ。……こうしたことは、著者が欧米人であることの限界だろう。いくら正しい主張を見出しても、それを自分自身に対して適用することができない。自分自身に対して盲目になっている。
 そこで、その点を補って、著者の主張を欧州にも当てはめたのが本項だ、と言えるかもしれない。
 
 [ 補足 ]
 本文について補足しておくことがある。三大発明は、欧州よりも中国が先行していたが、独自発生したのか伝来したのかは、何とも言えないこともある。
 火薬については、中国からの伝来であったらしい。銃は中国からモンゴル経由で伝来したらしい。( → Wikipedia
 羅針盤は、中国とは独立して発明されたらしい。( → Wikipedia
 印刷術については、中国とは独立して発明されたらしいが、よくわからない。(グーテンベルク以前にもオランダにあったらしいが証拠なし。 → Wikipedia
 ただ、グーテンベルクの活字印刷術は、15世紀半ばであり、それはちょうど大航海時代の開始期に当たる。大航海時代の国際交流と、活字印刷術とが、まったく無関係だったとも思えない。ルネッサンスの文化発達が、偶発的に発生したのではなく、大航海時代と密接な関係を持っていたことを考えれば、欧州以外の文化の流入は大きな影響があったはずだ。
( ※ なお、羅針盤の重要性も、ここではっきりするだろう。羅針盤は、大航海時代を可能にしたことで、文化交流と知識流入を促したのだ。本書の著者は、大航海時代について、「欧州人が海外に出て後進地を征服できた」というふうにばかりとらえるが、実は、大航海時代については、「海外の文化が欧州に流入した」というふうにとらえるべきなのだ。)
  
 【 追記 】
 「スペイン人が征服できたことには、鉄が重要だった」
 というのが著者の説だ。一方、私の説は、
 「そもそもインカ人は戦争という概念がなかった。もし戦争をしていたら(原住民の側に戦う意思があったなら)、168人いる鉄の軍団は、8万人の原住民に、あっさり負けていただろう」
 というものだ。
 このどちらが正しいかは、自明の理だと思えるが、実際に歴史上でそのことが証明されていた。それは(世界一周の)マゼランがフィリピンに達したときだ。彼はそこで鉄の軍団で圧倒的多数の原住民を支配しようとした。「スペイン人もできたのだから、われわれだってできるぞ!」と。しかるに、フィリピンにいる相手は、戦う意思をもっていた。そこが決定的に異なった。その結果は? フィリピン人の圧勝だった。マゼランはその地で殺された。以下、Wikipedia から引用しよう。
 ラプ=ラプ王は……マゼランの49人に対して1500人の軍勢を配置していた。しかしマゼランは圧倒的に多数の敵を前にして部下に、
 「あのエルナン・コルテス隊長がユカタン地方で、200人のエスパニャ人でもって、しばしば20万、30万の住民たちを打ち破ったということを我々が耳にしたのはつい最近のことではないか」
 と演説し、寡兵にも関わらず戦闘に突入。しかし、30倍の数の敵に対しマゼランの兵はやがて敗走。多勢のラプ=ラプ王の兵の竹槍はマゼラン達の甲冑に通じず戦いは1時間に及んだが、ラプ=ラプ勢は防具をつけていない足に攻撃を集中し始め、遂にマゼランは戦死する。
 確かに鉄は有効だった。だが、竹槍しかない原住民でさえ、戦う意思があれば、49人に対して1500人という量によって圧倒できるのだ。まして、168人に対して、8万人の人員があれば、圧倒できただろう。
 以上のことから、インカ帝国を征服できた理由は、「鉄」ではなかった、とわかる。基本的には、インカ帝国には「戦う」という概念がなかったことが理由なのである。
( ※ その証拠が、戦う意思のある相手に殺されたマゼランだ。マゼランが死んだのは、「銃・病原菌・鉄」の著者と同じ思想を持っていたからなのだ。)
 


 【 関連項目 】

 本項は、これで一応、完結します。
 ただし後日、本項に関連する項目を書きました。
 
 → デニソワ人・ネアンデルタール人との混血 1
   (「現生人類はネアンデルタール人やデニソワ人と混血した」という通説は成立しない、という話。)

 ※ これはシリーズになっています。続いて、次のような項目もあります。
  → 言語の歴史:10万年
  → 人類の移動 (まとめ)
  → 文明の形成


posted by 管理人 at 20:15| 書評 | 更新情報をチェックする
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