2012年05月08日

◆ 「銃・病原菌・鉄」への私見1

 「銃・病原菌・鉄」という本についての私見を述べる。批判など。 ──
 
 「銃・病原菌・鉄」という本については、すでに紹介した。
  → 前項

 このページでは、書籍の内容を紹介した。
 一方、本項では、この書籍についての私見を述べる。以下、章ごとに述べる。
( ※ すべての章を対象としているのではない。一部の章のみ。)
( ※ アラ探しふうの話だけです。たいしたことは書いてありません。重要な話は、次項に記してあります。
 



●第6章
 農耕民族の有利な点として、食料の安定性が指摘されている。詳しく述べられていないが、これが重要だ。
 農耕民族は、狩猟民族よりも労働時間が長いことが多い。なのになぜ農耕民族が増えたか? そういう疑問がある。この疑問に対して、私の考えはこうだ。
 「有利だからではなく、不利さが少ない。狩猟民族では、ときどき食料不足で絶滅の危険がある。一方、農耕民族では、食料備蓄などにより、食料不足で絶滅の危険が少ない」
 これは私の見解だ。ただ、これとよく似た趣旨の話は、本書にもある。著者もわかっているのだろうが、あまり強調されていない。そこで私としては、「食料の安定性」が重要であることを指摘したい。
( ※ 著者は「食料の生産量の多さ」ばかりを指摘しているが、私としては、「安定性」を指摘したい。生物にとって大事なのは、「数が増えること」ではなくて、「絶滅しないこと」なのである。……この点は、進化論の立場の違いによる。著者やダーウィニズムの人々は、生物において「数が増えること」をやたらと重視するが、私の立場では、生物において「数が増えること」は二の次であり、何よりも「絶滅しないこと」が大切なのだ。 → 「絶滅しないこと」

●第8章
 「メソポタミアには小麦と大麦があったが、ニューギニアと北米には小麦と大麦がなかった」というふうに述べて、文明の発達の差を環境要因を理由にしている。まあ、おおむね正しいだろう。だが、ここには二つの難点がある。
 第1に、中国の話が抜けている。「メソポタミアが世界最古の農耕発祥地」というのはたぶん誤りで、中国ではメソポタミアよりも3千年ぐらい早く稲作が開始されているらしい。中国の話は、最後にエピローグで付け足しふうに述べているが、それではお粗末すぎる。これほど重要な話をエピローグでしか触れないというのは、あまりにも欧米中心的すぎる。
 第2に、「環境が農耕を決めた」というのは、そもそも論理として成立しない。環境が決定するのは、農耕の「開始」ではなくて、農耕が開始したあとの「文明の発展の有無」である。農耕がいったん開始したあとで、文明の発展はあるか否か? 小麦と大麦があれば、余剰カロリーが多いので、人口増があり、文明の発展はある。小麦と大麦がなければ、余剰カロリーが少ないので、人口増がなく、文明の発展はない。……以上の点は、著者が述べたとおりだ。だが、そこで得られる結論は「文明の発展の有無」であり、「農耕の発生の有無」ではない。メソポタミアでは、西部のパレスチナで農耕が発生したが、そこはあまり肥沃ではないので、文明の発展も少なかった。しかしメソポタミア南東部のバビロニアでは、土地が肥沃だったので、シュメール文明が発展した。このように、「小麦と大麦」および「肥沃」という二つの条件がそろったときに、文明の発展がある。ここではあくまで「文明の発展の有無」が問われる。
 一方、「農耕の発生の有無」は、全く別の問題だ。それは、環境の要因よりは、人間の知性によって左右されるはずだ。メソポタミアであれ中国であれ、小麦や稲は昔から自生していたであろうが、ある時期になって、人類の知性が一定段階以上に達すると、農耕が可能となって、農耕が発生した。
 この観点から考えたのが、私の説だ。前に述べたように、土器と言語 (言語の発生)という項目では、土器と言語の関係に着目した。土器は中国で古く誕生し、数千年後にはメソポタミアでも誕生した。これらの時期から考えて、おおむね2万年前〜1万年前に、人類の知性は一定段階に達したと考えられる。(土器を作れる段階。) そして、そうなったのは、このころの人類が初期言語を獲得したからだ。以上のように私は考えた。
 さて。本書を読んで新たに考えたことだが、これと同時に、農耕もまた発生したのだろう……と私は推定したい。つまり、「初期言語」「土器」「農耕」がほぼ同じ頃に成立した、と考えたい。そして、その因果関係を順に言うならば、「初期言語」が最初であろう。初期言語ゆえに、人類が知性を獲得し、そのことで、「土器の製造」と「農耕の開始」がともになされたのだろう。環境も大切だが、その環境を生かすための知恵こそが大切だ。……これが私の立場だ。
 
●第9章
 南北アメリカでは大型肉食獣が全滅した。それはなぜか? その理由は特に示されていない。そこで、私なりに考えてみる。
 「そのときに農耕がなかったからではないか?」
 という推定がある。つまり、農耕がなかったせいで、人々は大型肉食獣を食い過ぎて、絶滅させてしまった、というわけだ。(マンモスを食い尽くして絶滅させるように?)
 だが、その推定は妥当ではないようだ。農耕が始まる時期は、メソポタミアでさえ BC 9000 である。一方、南北アメリカで大型肉食獣が全滅した時期は、もっと早い。農耕を始めるべき時期以前に、大型肉食獣が全滅してしまったのだ。
 では、理由は何か? 改めて推定すれば、大型肉食獣が生きるに足るための豊かさがなかったせいだろう。ユーラシアには多湿の森林地帯が多かったが、(本書に示されたように)南北アメリカには乾燥したサバンナ地帯が多かった。そのせいで生物の繁殖可能な上限数も少なかった。また、人間から隠れるための森林地帯も少なかった。比較的絶滅しやすい自然環境にあったことになる。
 結局、気候を理由とするユーラシア大陸の植物的な豊かさが、大型肉食獣の豊かさと数を保証したから、その絶滅を阻止した。ユーラシア大陸でのみ家畜化が進んだのは、自然環境や生物相が理由であったが、そこでは気候の違いも重要だったことになる。
( ※ なお、気候の違いは、主として地形の違いからもたらされた。地形の違いには、海との距離を含む。本書にも示されてある通り。)

●第3章 & エピローグ
 「銃・馬・鉄・病原菌」が重要なポイントとして指摘されているが、私としては「ピンぼけじゃないの」と思う。
 スペイン人がインカで勝利した場面は、第3書に詳しく述べられているが、そこでわかることは、次のことではない。
 「スペイン人とインカ人とが大激突して、前者の軍が後者の軍を圧倒した」
 このような正々堂々たる戦いは、(最初は)なかった。実際にあったのは、次のことだった。
 「おたがいに平和を唱えて、スペイン人はインカ人の集まりに招かれた。その友好の式典のさなかで突然、武器を取り出して、大虐殺を始めた」
 こうして、たったの 168人しかいないスペイン人兵士が、大混乱のさなかで、8万人のインカ人兵士に歯向かい、7000人を殺していった。それを彼らは「素晴らしい戦果」というふうに述べている。
 しかしこれは、正々堂々たる戦争の勝利ではない。真珠湾もびっくりの、とんでもないペテンである。こういう卑怯きわまりないペテンこそが勝利の本質だった。アメリカ人はやたらと「真珠湾は卑怯だ」と非難するくせに、アメリカ人である著者は真珠湾の1万倍も卑怯なスペイン人の虐殺を「卑怯なやり方で」とは語らず、「白人が優秀だったから」というふうに語る。これではあまりにも非本質的だ。
( ※ 比喩で言おう。あなたの住居に、旅人がやって来た。そこであなたが歓迎すると、旅人は「ありがとう」と言って、もてなしを受けた。たがいに食事をしてくつろいでいるところで、旅人は突然、銃を取り出して、脅かした。あなたが驚いていると、旅人は殴り放題で、あなたの家族を皆殺しにした。そのあとで旅人は言った。「おれがこれほど勝てたのは、おれが優秀だからだ。銃には弾が入っていなくても、おれの優秀さで勝てた。わかったか、馬鹿者め」。そしてあなたを刺し殺した。)

 また、その後の「病原菌による大量の死者」でも、「スペイン人には免疫があったから」というふうに述べるが、免疫力というのは栄養に大きく影響されるという点を無視している。当時のインカ人は、奴隷状態となって、貧困な栄養状態に置かれた。それゆえ、免疫力は大幅に低下していた。そのことを無視している。
( ※ 免疫力というものは、遺伝子でも決まるが、遺伝子だけで決まるのではなく、後天的な栄養状態によっても左右される、という点に注意。)
 また、「アメリカ先住民には免疫力がまったくなかった」という点だけでなく、「欧州人がアメリカ先住民に意図的に感染させた」という点もある。
 北アメリカでは白人によって故意に天然痘がインディアンに広められた例もある。フレンチ・インディアン戦争やポンティアック戦争では、イギリス軍が天然痘患者が使用し汚染された毛布等の物品をインディアンに贈って発病を誘発・殲滅しようとした。19世紀に入ってもなおこの民族浄化の手法は続けられた。
( → Wikipedia 「天然痘」

 以上(卑怯さ・栄養不足・感染行為)のいずれを見ても、スペイン人にあったのは、「軍事的優秀さ」や「免疫力の優秀さ」ではなくて、「悪質な残虐性」だった、と解釈できるだろう。たとえば、コロンブスによるインディアン大虐殺は、およそ人間のやることだとは思えない。ほとんど悪魔の所業だ。
 コロンブスの率いるスペイン軍はインディアンに対して徹底的な虐殺弾圧を行った。行く先々の島々で、コロンブスの軍隊は、海岸部で無差別殺戮を繰り返した。まるでスポーツのように、動物も鳥もインディアンも、彼らは見つけたすべてを略奪し破壊した。コロンブスがイスパニョーラ島でしばらく病に臥せると、コロンブスの軍勢は凶暴性を増し、窃盗、殺人、強姦、放火、拷問を駆使して、インディアンたちに黄金の在処を白状させようとした。
( → Wikipedia
 このような残虐さは、徹底的なものだった。
 スペインは南米侵略以降、暴虐の限りを尽くし、サント・ドミンゴ、プエルトリコ、ジャマイカ、キューバなどを征服。その先住民およそ100万人を殺すか病死させるか奴隷にした結果、ほとんどが絶滅してしまった。純血は確実に絶滅してしまったため、いまでは白人と黒人で成り立っている。……スペインはその植民地政策において、アメリカ合衆国・カナダとは比べ物にならない数の先住民を一掃してしまった。
( → Wikipedia
 ま、単純に「残虐だったから」と決めつけるのは一面的すぎるかもしれない。だが、そういう面も十分にあったと理解しておいた方がいい。
 仮に立場が逆になって、インカ人が欧州に進出したとしたら、欧州人は絶滅していたか? いや、インカ人はそれほど残虐ではないおかげで、欧州人は滅びなかったかもしれない。
 ちなみに、欧州がアジアを植民地化したときは、アジア人を奴隷のごとく扱ったが、日本がアジアを植民地化したときには、「大東亜共栄圏」という名称のもとで奴隷化はしなかった。「二級市民」のように扱うことはあったが、あくまで人間として扱った。
 その意味で、欧州人が各地を征服していったことの本質的な理由は、その精神の残虐性にあるとも言っていいだろう。
( ※ その理由はわからない。肉を食っているせいかもしれないし、宗教のせいかもしれないし、歴史文化のせいかもしれない。)
  
 【 後日記 】

 このような残虐性については、後日、次の箇所でも言及した。
  → Open ブログ: 人類の進化(総集編) 2
 ここの  (7) 新モンゴロイドの出現と展開 の箇所の後半で言及した。

●エピローグ (後半)
 この本で唯一、完全におかしいと言えるのが、中国に関する言及の部分だ。前項の要約を示すと、次の部分だ。
 なぜ中国でなく欧州の文明が発達したのか? 中国は最初から最後まで肥沃な土地だった。しかも平坦な地形だったので、国家的な統一が強固に進んだ。そのなかで皇帝は船団の派遣を停止した。だから外国を植民地化できなかった。
 元の原文(書籍)に戻って引用すると、次の部分だ。
 なぜ中国は、太平洋を渡って、アメリカ西海岸を征服しなかったのだろうか? 言い換えれば、なぜ中国は、自分たちより遅れていたヨーロッパ人にリードを奪われてしまったのか?
 これらの謎を解くカギは、船団の派遣の中止にある。この船団は西暦 1405年から 1433年にかけて七回にわたって派遣されたが、その後は中国宮廷内の権力闘争の影響を受けて中止されてしまった。……やがて造船所は解体され、外洋航海も禁じられた。
 これは明らかに筋違いだ。
 そもそも中国というのは、統一された国家ではない。もともとは漢民族だったが、しばしばモンゴル人に征服されて、モンゴル人の国家となった。
    → 東アジアの領土の歴史 (動画)
 そうした生じたさまざまな国家は、「中国」という国ではなく、全く別の国である。統一された方針などはない。
 そのなかでも最も対外的に侵略的だったのは、元朝である。そして元朝は実際に、船団を派遣して、対外的な侵略を企てた。その典型的な例が、いわゆる元寇である。(これは日本にとっての呼び名だが。)
 元寇は 1274年と 1281年の計二度、行なわれた。しかしそのいずれも、完全な大失敗に終わった。派遣した船舶は大部分が沈没して、派遣した兵も大部分が死んでしまった。「大失敗」という言葉がこれほどふさわしいものはない。
 そのいずれも、本当の理由は神風(台風)であったが、日本軍の優秀さも重要だ。実際、神風が吹くまでは、戦いは日本側が優勢だった。それというのも当然で、モンゴル軍の有利さを保証する「騎馬軍団」は、船舶によっては成立しなかったからだ。また、敵地に向かった攻撃側の兵は数が限られ、補給もないが、地元にいる守備側の兵は数が十分で、補給も得られる。もともと近代化された軍同士であれば、守備側が有利なのは当然なのだ。
 かくて元朝における対外進出は、あっさりと夢を破られた。海外進出の第一歩で撃破された以上は、同じ愚を繰り返そうとしないのが当然だ。
 では、太平洋上の島々に向かうのは? それは無意味だ。太平洋上の島々など、征服しても、何の価値もない。それくらいだったら、南アジアや西アジアを陸上で征服していく方が、よほど利口だ。(それならば騎馬軍団も使える。)
 では、著者(ダイヤモンド)が言うように、太平洋を横断して、南北アメリカを征服すれば良かったか? いや、当時は、南北アメリカがあるということは、知られていなかった。現在のわれわれが南北アメリカの存在を知っているからといって、中国人やモンゴル人が知っていたと思うのは、見当違いだ。
 そもそも、コロンブスは、南北アメリカを発見しようとしたのではない。インドを発見しようとしたのだ(!)。しかるに、モンゴル人(元朝)にとっては、インドはすぐ隣の領域である。
   → 東アジアの領土の歴史 (動画)
 また、他の中国国家にとっても、インドは東南アジアを越えた、すぐ近くにある。陸地伝いに簡単に到達できるのに、わざわざ船で莫大な時間をかけて到達する理由がない。(船では補給も大変だし、馬も運べない。)

 結局、中国が南北アメリカをめざさなかった理由は、次のことだ。
  ・ 南北アメリカの存在を知らなかった。
  ・ インドは陸地伝いに到達できた。
  ・ 船では馬を運べない。
  ・ ちょっと出た日本では二度も完全撃破された。
  ・ 太平洋上の島々は無価値だった。

 これだけのはっきりとした理由がある。だから、著者の言うような理屈(「皇帝が船団の派遣を停止したから」「権力が統一されていて異論が通らなかったから」)なんてのは、全然、理屈が通っていないのだ。それは中国に対して、あまりにも歴史音痴だ、と言える。
 著者(ダイヤモンド)は、進化論の理屈はたっぷりとあるのだが、文系の歴史については基礎的な理解がまったく欠けている。「東アジアの世界史をきちんと勉強しましょう」と、私としては勧告しておこう。 (^^);
った。
   
 ついでだが、中国の国家で最大級の領土を誇ったのは元朝だが、それは最盛期には現在の中国領をはみでるぐらい大きく広がった。しかし、そこで勢力のピークとなったあとは、衰退していった。……ま、そういうものだ。この地域では陸上の支配領域を広げることだけが、重要だったのである。
 そしてまた、東方には日本という強力な軍事国家が存在していたことを忘れてはならない。日本はインカ帝国みたいに軟弱な国ではなかったのだ。そういう歴史も知っておいてもらいたいものだ。

( ※ なお、船団派遣の問題についての質疑応答が、別項目 のコメント欄の最後の方にある。疑問を感じたら、そちらも参照。)




 なお、文明についての重要な話は、本項の続編で述べる。
 ( ※ 本項は粗探しみたいなもので、たいしたことは書かなかった。
     続編の方では、とても重要な話を書く。)
 


 【 関連項目 】
 本項には続編があります。
   → 「銃・病原菌・鉄」への私見2


posted by 管理人 at 20:14| 書評 | 更新情報をチェックする
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