2010年12月26日

◆ 奇跡の人(真保裕一)

 奇跡の人 は、真保裕一の、風変わりな恋愛小説。
 ひょっとして、オタクのための恋愛小説? 
( ※ 「これを買え」と勧めているわけではありません。ただの書評。) ──
 
 頭は 10歳だが、肉体は 30歳で屈強、という歪んだ人間のなす、一方的な愛(ストーカー愛)の物語。

 愛情というものは、相手を好きだと思う自分の欲求と、相手のためを考えるという思いやりとの、二つの側面から成立する。(両面価値)
 この二つのうち、相手を好きだと思う自分の欲求だけがあり、相手のためを考えるという思いやりがないと、ストーカーになる。「恋愛とは双方の合意のもとで成立する」ということを理解できず、自分の欲求だけを押しつけるわけだ。精神的な強姦とも言える。(ストーカー愛)

 このような形で物語が進むが、これを読めばどう感じるかは、読者のタイプによって、二通りに分かれるだろう。
 (1) 相手の気持ちを無視して暴走する点に、不快感を感じる。
 (2) 「好きだ」という自分の気持ちを貫く点に、感動する。

 男女交際の経験が実際にあれば、自分が相手のためを思って行動したことを思い出して、それができない主人公に不快感を感じるだろう。
 逆に、男女交際の経験が実際になければ(アニメなどの経験しかなければ)、好きだという思いを貫徹して行動する主人公に、感動するだろう。アニメが大好きであれば、アニメのヒロインの心理を考えて行動するということはあり得ないのだから、相手のことを無視して、自分の気持ちばかりを押しつけるだろう。「好きだ、好きだ」とだけ一方的に気持ちを押しつけて、相手の迷惑など顧みないだろう。(ストーカー愛)

 この意味で、(リアル女性でなくアニメキャラに恋するような)オタクのあふれる現代は、ストーカー愛がひろがりがちだし、また、本書のような主人公に感情移入できる人もいるだろう。

 作者の狙いは、何だったのだろうか? 「究極の愛」を描くことだったのか? まさか。「究極のストーカー愛」を描くことだったのだろう。たぶん。
 
 まともな恋愛関係(人間関係)を構築できないような、「頭だけ子供」という大人は、現代ではあふれている。彼らは幼児的な顔や性格をしたアニメキャラを好む。そういうオタク的な大人があふれているのが、現代だ。
 たとえば、駅伝の選手は、その多くがオタクであることがわかる。
  → 好きな女性はアニメキャラとアニメ声優

 ストーカー愛を描写する本書は、「歪んだ恋愛を描く奇書」とも見えるが、実は、「現代の典型的な愛を描く、王道の恋愛小説」なのかもしれない。歪んだ時代にあっては。



 [ 付記 ]
 ただし、最後の最後で、どんでん返しがある。ひたすらエゴイスティックに進んだ小説の最後で、エピローグのような形で、正反対の形の崇高な愛が出現する。そのおかげで、読後感は、必ずしも不快一辺倒ではない。かなり大きな、清涼感のある、感動が得られる。
 とはいえ、それは、「最後のお口直し」だ。激辛のキムチを死にそうなほど食べたあとで、最後においしいデザートが一口出る、という程度。
 とはいえ、このような対比もあるから、オタクにとっては、本書は読む価値があるかも。反面教師にもなるし。(汚れたわが身を映す鏡みたいなものか。)
 
 どちらかと言えば、ベストセラーの「ホワイトアウト」の方が、ずっと面白い。これは傑作だ。

   

 
 なお、「偽札作り」をテーマにした「奪取」は、あまりにも詳しい(不必要に詳しすぎる)印刷方法が書いてある。印刷オタクみたい。そんなに詳しく、偽札作りの方法を教えてくれなくてもいいのに。
 真保裕一はちょっとオタク的な性格かも。



posted by 管理人 at 00:08| 書評 | 更新情報をチェックする
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