2010年10月20日

◆ 捕食者なき世界

 生物多様性が話題になっている。では、それがなくなるとどうなるか?
 バランスの取れた多様性がなくなると、生物はやたらと増えたあげく、絶滅するハメになる。(人間にとって示唆的な話。) ──
 
 捕食者が増えすぎると、被食者がなくなるので、捕食者は絶滅する。だからそうならないように、捕食者は被食者を食い尽くさない……と思ったら、さにあらず。
 捕食者が被食者を食い尽くして、捕食者自体も絶滅する、という例がものすごく多数あるという。

 歴史上、種の絶滅という出来事は、非常にたくさんあった。恐竜絶滅というような大がかりなものではなくて、サーベルタイガーのような特定の種が突然、絶滅する。「なぜだろう?」と進化論学者は頭を悩ませてきた。
 実は、捕食者が被食者を食い尽くして、捕食者自体も絶滅する、という例がものすごく多数あるという。

 ちなみに、丹沢の鹿が増えすぎたのが話題になっているが、それと同様のことかもしれない。丹沢では、鹿が増えすぎて、植物を食い尽くし、生態系が破壊されてしまう。そのせいで、鹿そのものがいつか絶滅の危機にさらされる。(丹沢はまだそうなっていないが、世界にはそういう形で絶滅の危機にさらされている例が多い。)

 ともあれ、捕食者と被食者の関係など、興味深い絶滅の話が、次の書籍で示される。



 以下では、ネット上の書評から一部抜粋。
 オオカミがいなくなればシカがはびこり、ラッコがいなくなればウニがはびこる。そして彼らは食えるだけ食い、殖えるだけ殖え、自らそれによって飢えることなど考えも及ばない。その過程で生物多様性は喪われる。捕食者だけではなくて、被食者のそれも。( → 出典

 捕食者がいなくなってしまった世界は決して被食者たちの楽園ではなかった。更新世末に大型肉食動物が激減を招いた犯人は誰か? とにかく面白い!!
 ヒトデがいなくなった海岸では何が起こるか、シャチがラッコを襲い始めた原因は何か、ダムによって離れ小島となった土地でサルが好き勝手に振舞うとどうなるか、今まで聞いたこともないような事例のオンパレードで飽きずに一気に読んでしまった。
 ダムによる浸水のために、ジャガー、ピューマ等の捕食者が生きていくことのできなくなったバロ・コロラド島の惨状を見れば、いたずらに捕食者を殺してきたことを後悔しないではいられないだろう。その島ではホエザルが増殖し過ぎてしまったのだ。
 “ ホエザルのお気に入りの木々さえも、サルたちに復讐しはじめていた。葉という葉を食べつくされた木が新たに出す芽には、苦くて吐き気を催させる毒素が多く含まれるようになった。朝食は服毒の時間となり、サルたちは哀れにもがつがつと新芽をむさぼっては、決まってそれを吐き出すのだった。表向きは捕食者によるトップダウンの支配から解放された彼らだったが、植物によるボトムアップの調整というはるかに残酷な時代に踏み込んでいた。”(本書の抜粋)
( → 出典
 また、朝日新聞の書評欄からの抜粋。
  興味のある事実が次々に紹介されていく。ベネズエラのグリ湖の小さな島で見られた雑食性のサルを頂点とする空間では、このサルを捕食する者が存在しないために独自の生態を示すようになった。集団は崩壊し、サルは孤独な個体となり、「木々さえも、サルたちに復讐(ふくしゅう)」し始める。葉をすべて食べつくされた木が新たに出す芽には毒素が含まれるようになり、朝食は服毒の時間となった。森は裸同然になるが、それはアルマジロなど捕食者のいなくなったアリが自然を大きく変えたためだ。やがてこの地のサルもアリも絶滅するだろう。こうした例をイエローストンのオオカミなどを含め数多く語り続ける。
( → asahi.com
 他に、アマゾン(上記の画像リンク)にも、読者書評が見られる。
   
 ──

 なお、最近、鹿の食害を防ぐために、狼を導入しようという声が上がっている。それに対して環境省は、「外来種の導入には慎重だ」ということだ。沖縄のマングースの失敗で懲りたらしい。
 しかし本書によれば、狼を導入したイエローストーンでは、生物多様性が回復しはじめているそうだ。

 いったん生態系が破壊されたあとでは、その状況を維持することが大切なのではない。積極的に回復のための措置を講じることが大切だ。環境保護とは、何もしないこと(現状維持)と同義ではない。本書は人々に発想の転換を促す。
 
 [ 付記1 ]
 本書が面白いのは、従来のエセ・人道主義に反するからだ。
 「肉食動物は、草食動物を食い殺す、エゴイスティックな生物だ。鹿や兎は、草食動物で、草を食べるだけだから、残酷じゃない。その鹿や兎を食い殺すなんて、ライオンや虎は残酷だ」
 幼稚園児ならば、こういう発想をもつ。ライオンが鹿を食い殺すのを見て、涙を流して「かわいそう」と思う。「悪いライオンを退治してしまえ」とも思う。
 あるいは、ベジタリアンならば、「肉食はすべて悪いことだ。肉食する動物も、悪い動物だ」と思い込む。
 しかし、肉食動物がいなくなれば、生態系は破壊されてしまうのだ。下手な人道主義(?)に従うと、かえって自然を破壊する結果になる。
 何という皮肉。
 
( ※ エコキャップを推進すると、かえって自然が破壊される、というのに似ている。下手なエコ主義はかえって害悪だ。)
 
 [ 付記2 ]
 私見だが、本書の話は、南極のシロナガスクジラにも当てはまりそうだ。シロナガスクジラの禁漁は何十年も続いているのに、シロナガスクジラの生息数はちっとも増えない。いまだに絶滅の危機だ。
 これは、他の鯨(クロミンククジラなど)が増えすぎて、シロナガスクジラの餌を食い尽くしてしまったからとも言えそうだ。
 ここでは、人間が捕食者としてシロナガスクジラを捕りすぎたので、シロナガスクジラが大幅に減少した。そこから原状回復するには、人間がいったん捕食者として、他の鯨(クロミンククジラなど)を殺す必要がある。そうすれば、シロナガスクジラが増えて、生態系は回復する。
 ここでは、人間は何もしなければいいのではない。捕鯨禁止をすればいいのではない。そういう示唆的な結論も得られるだろう。

 「鯨がかわいそう」という単純な人道的(?)な感情だけでは、いったん破壊された生態系は回復されないのだ。 
  


 [ 注記 ]
 「捕食者が大事であるということは、とっくに知っているよ。生態系の学会では常識だよ」
 と思う人もいるだろう。ま、それはそうだろうが、本書では、そういう内容を体系的に詳細に論じている。「捕食者が大事」というのはただの6字でしかないが、本書には大量の事実が紹介されている。
 広辞苑に書いてある1行 20字の説明文を読んで、物事を知ったつもりになってはいけない。ちゃんと本を読まないと、物事を深く理解できない。
 


 [ 余談 ]
 関連して、別の話題。
 最近、熊が人里に出現して、次々と射殺されている。人間に危険だということで。
 むごいですねえ。生態系維持といいながら、熊を射殺するなんて。熊がかわいそうだ。

 熊が人里に出没するわけは、わかっている。今年は異常気象のせいで、ドングリなどが足りないからだ。とすれば、今年に限って、餌になるものを投与してあげればいい。たとえば、ジャガイモとか。
 毎年毎年、餌を投与すると、その動物の総数が増えてしまい、維持できなくなる。それはそれで生態系の破壊となる。
 しかし、ある年に限って、異常気象ゆえに餌不足になるとしたら、その場合、対処する策は、異常気象を補うように、餌を投与することだろう。そこをトチ狂って、その動物を殺すのが、現状だ。
 人間の馬鹿さ加減は、どうしようもない。
 エコキャップなんかでエコをやるより、熊にドングリを上げようとした(読売の漫画の)こぼちゃんの方が、よほど賢明だろう。


posted by 管理人 at 19:13| 書評 | 更新情報をチェックする
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