2010年01月16日

◆ 偶然と必然(モノー)

 偶然と必然(ジャック・モノー著)という本がある。40年ぐらい前に刊行されたもので、進化論や分子生物学の分野の本だが、名著として知られている。 ──

 この本が名著だということは、あちこちで言及されている。たとえば、下記にもある。
  → 東大教師が新入生にすすめる100冊

 そんな昔の本がなぜ、名著として今も言及されるのか? 実は、そこに書いてある知識は古いのだが、そこに示されている考え方は今日でも新しいからだ。いや、むしろ、今日の現代人の方が古くなってしまっているとも言える。(逆説的だが。)

 今日の進化論は、ダーウィニズムが全盛である。個体淘汰から遺伝子淘汰へと形を変えたが(その背後にはドーキンスがいるが)、それでもダーウィニズム流の発想法は基本的には健在だ。
 しかしながら、30年あまり前には、そうではなかった。「ダーウィニズムでは説明不能な出来事がいろいろある」というダーウィニズム懐疑論がたくさんあった。その懐疑論に対する回答は、ちゃんと与えられたわけではないのだが、いつのまにか懐疑論は消えてしまって、「ダーウィニズムはまったく正しい」という肯定的な見解ばかりが幅を利かすようになった。

 その意味で、当時の懐疑論を呼び起こすことには、今日でも意義がある。なかでも、その代表とも言えるモノーの見解(本書)は、とても有益だ。

 ──

 モノーは本書で何を示したか? 実は、何らかの独自の見解を示したのではない。むしろ、疑問を示したのだ。「 Why?」と。それは、次のような疑問であった。

 「生物の進化は、偶然である突然変異に依拠しているのに、どうして必然的であるように見えるのか?」
 (これが「偶然と必然」という題名の由来だ。)

 ここで、二つの言葉は、次のように説明される。
  ・ 偶然 …… 突然変異という確率的な現象
  ・ 必然 …… 目的を持っているかのように進む進化の方向性


 ここで、「目的を持っているかのように進む進化の方向性」のことを、彼は「合目的性」と呼んだ。たとえば、馬の中指は一貫して特定の方向に進化する。それはまるで、最終的な目的を知っていて、しきりにそこをめざしていくかのようだ。突然変異は偶然的なものなのに、このように合目的性を持つのは不思議だ。……これが彼の疑問であった。

 この疑問に対して、彼はきちんとした回答を示したわけではない。ただし、このような疑問を掲げて、進化というものの不思議さを示し、同時に、現代のダーウィニズムによる説明の不十分さを指摘したのだ。
 「われわれはダーウィニズムによる進化論で、進化のことをすべて理解したつもりでいる。しかし実際には、進化の世界にはダーウィニズムでは説明しきれないことがあるのだ」
 こういうふうに指摘して、進化について知り尽くしたつもりでいる人々の頭を、ガツンと揺さぶったのである。(それが名著と呼ばれるゆえんだ。人々の既存の認識を揺さぶる。)

 ──

 モノーの疑問に対して、今日の進化論では、次のように答えるのだろう。
 「生物に合目的性なんかない。特定の方向をめざすことはない。単に環境に適したものが生き残るだけだ」

 しかし、そのような答えは、もともとモノーの本の中で紹介されている。昔からある見解にすぎない。
 現実には、そのような解釈では説明できない事柄が、進化の世界では数多く見られる。単に「環境に適するため」というだけでは、とうてい説明できないようなことが多いのだ。
 私なりに一例を挙げるなら、「海に棲息する」という環境への適合なら、魚類でも十分だし、それどころか、ミジンコふうのプランクトンみたいな原始的な生物でも十分だ。なのに、進化の過程では、魚竜のような爬虫類も生じたし、鯨のような哺乳類も生じた。これらのものが生じるような進化は、「環境に適するため」というだけではとうてい説明できないのだ。

( ※ 簡単に言うと、系統樹において、左右方向は「環境で決まる」と言えるが、上下方向の進化は「環境で決まる」とは言えない。環境とは別の理由が必要だ。 → 自然淘汰と不可逆性
( ※ このような進化では、進化につれて遺伝子の数はどんどん減ってしまっている。下等動物の個体数の方がずっと多いからだ。それも説明しにくい。)

 ──

 では、どう考えればいいのだろうか? 
 進化というものは、物理用語で言えば、「エントロピーの減少」という形で示される。(直感的に言えば、不秩序度が減少すること、つまり、秩序の度合いが高まることだ。)
 さまざまな物質は一般的に、「エントロピーの増加」が起こる。ところが生物だけは「エントロピーの減少」が起こる。「エントロピーの減少」は生物の特質となることだ。
 そして進化の歴史は常に、「エントロピーの減少」という形の歴史だった。無脊椎動物のあと、魚類、両生類、爬虫類、哺乳類、というふうに、進化の度合いを高めるにつれて、器官や脳はどんどん複雑化・高度化していった。いわば 8bit の初歩的パソコンから 64bit の高性能パソコンに進化するように。そういうふうに、「エントロピーの減少」が起こった。それはほとんど必然的とも言える一貫した過程だった。( → 進化の本質
 にもかかわらず、その必然的(らしい)過程について、進化論はうまく説明できないのである。単に「環境に適したものが生き残る」というほかは。

 現代の進化論は、下等生物という概念を否定して、あらゆる生物は同等の進化をしていると考えることで、進化における「エントロピーの減少」という概念を否定する。( → 下等生物/高等生物
 さらには、現代の進化論は、(事実とは逆の)「エントロピーの増加」さえ結論してしまうようだ。たとえば、「環境に適応する」という形で、「人間が猿になり、さらにはあれこれと環境を経由して、最終的には細菌みたいなものに進化する」というふうな。進化がただの変化にすぎないとすれば、それは当然だということになるだろう。( → 進化は 変化か交替か
 
 ──

 モノーは進化論学者ではない。分子生物学者だ。彼は物理学の素養もある。
 そういう立場の発想で進化論を見ると、現代の進化論には不完全なところがあるとわかる。その不完全さを指摘することで、「われわれは進化について知り尽くしている」という現代人の自惚れを揺さぶった。彼はわれわれが真実であると信じているものを、大きく揺さぶったのだ。そこに彼の著書の意義がある。
 その意義は、今日でも、決して衰えていない。いや、「われわれは進化について知り尽くしている」という自惚れの強まった現代でこそ、彼の著書の意義はますます高まっている。
 

( ※ なお、モノーの疑問に対する私なりの回答は → 有性生物の本質進化は 変化か交替か自然淘汰と不可逆性




 【 注記 】

 本項は、「偶然と必然」の要旨ではない。本項を読んだだけで、モノーの本をきちんと読んだつもりにはならないでほしい。モノーの本には、大量の内容が記述してある。本項で示したことは、そのうちの一部だけだ。
 ただし、一部とはいえ、本書の核心部である。とはいえ、何が核心かは、読み手によって異なるだろう。私としては、上記のことが核心だと思ったが、人によっては、別のことが核心だと思うかもしれない。
( ※ 上記の話題よりも前の段階で紹介してあること[つまり生物学の常識]を、本書の核心だと思っている人もいる。その場合は、モノーは、問題提起をしているのではなく、生物学の常識を語っているのだと受け止めることになる。それはそれで、わかりやすい受け止め方だ。)

 モノーの話は含蓄に富んでおり、いろいろと考えさせられることが多い。読者はそれぞれ、自分なりにあれこれと思考をめぐらせることができる。
 ともあれ、一読の価値があるというのは確かなので、あとは読者が自分で読んで、自分で考えてほしい。本項は、そのための一助となれば、幸いだ。



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  → 偶然と必然(J・モノー)

 ( ※ 読者による書評もあります。)


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