本サイトはいちいち新刊書の書評をする方針ではないのだが、ペレルマンの評伝となると話は別だ。
彼は現存する唯一の天才と言っていい人物だ。アインシュタインぐらいのレベル。業績の独創性も際立っていて( → Wikipedia )、奇人・変人ぶりも際立っている。(巨額の賞金を受け取らず、金も名誉も捨てて、森のなかでひっそりと暮らしている。……引きこもりじゃないですよ。 (^^); )
彼の評伝が出たというだけでも興味深いが、内容がまたとても興味深いらしい。私は未読だが、読売新聞に書評が出た。
この天才の生い立ちを、本書は克明に浮かび上がらせる。それを可能にしたのは、著者自身がペレルマンと同じ年に生まれ、旧ソ連の社会主義体制下で同じように数学のエリート教育を受けたユダヤ人だったからである。要するに、ソ連では、スポーツの天才児が選抜されてエリート教育を受けたように、数学の天才児も選抜されてエリート教育を受けた。そこでは、優秀な一握りの子供たちが隔離されて、特別な状況に置かれたということらしい。
彼女が自分のことを回想した部分はとりわけ鮮やかだ。…(中略)…窒息しそうな日々。しかし彼女は、数学の才能を発掘するため全国を回っていたスカウトの目に止まる。
ソ連の科学はイデオロギーに従属していた。そんな砂漠のなかに奇跡のようなオアシスが存在した。…(中略)…今年私が読んだ科学翻訳書のベストワン。
( ※ 評者は福岡伸一。「生物と無生物のあいだ」の著者)。
さらに書籍からの引用で示すと、
「自分の理想に合わない外界には目をつぶり、耳をふさぐ」
というのが彼の得意技だったそうで、また、
「成功することが自分にとってきわめてきわめて重要な局面においてさえ、彼は成功よりも信念のほうを大切にした」
そうだし、また、
「中途半端な成功は二度としないと心に決めた」
ということだ。(「 」内は同書 84ページ。このサイトからの孫引き。)
このような環境は非常に興味深かった、ということは、Amazon の読者書評でも示されている。(リンクはあとで示す。)
ただ、このような特殊な環境で育ったことで、素晴らしい業績を上げることはできたにしても、それは必ずしも幸福なことではなかったようだ。彼はあまりにも先へ進んでしまったため、世界を置き去りにした。そのせいで、彼の前に人はなく、彼の横にも人はいない。この世界に仲間は一人もいないという、荒涼たる世界に進むことになったようだ。
「僕の前に道はない、僕の後ろに道はできる」 (by 高村光太郎)
という感じかな。
ともあれ、独創性があまりにも進むと、世間は追いつけなくなってしまうのだ。業績と幸福とは、必ずしも結びつかない。
しかし、それだからこそ、彼の評伝はとても興味深い。「天才の栄光と孤独」というテーマを扱う本としては、本書は白眉になるだろう。
なぜか? それは、この本の著者が、ただのサイエンス・ライターではなくて、「天才のなり損ね」であったからだ。「天才の栄光と孤独」を最もよく理解するのは、「天才のなり損ね」なのかもしれない。
「天才のなり損ね」は悲劇にはならない。喜劇にはなるが。たぶん、この本の著者は、「天才の栄光と孤独」を味わうかわりに、世間的な成功をなし遂げるだろう。……そして、池田信夫や勝間和代のような人は、ペレルマンに着目するよりは、うまい本を書いて多額の金を得た著者の方に着目するだろう。「お金儲けの仕方を知りたい」というふうに。
しょせん、天才の道と、凡才の道は、交わらないのである。その中間に、「天才のなり損ね」がいるだけだ。そして、「天才のなり損ね」を通じて、私たちは天才の歩んだ道筋を知る。
《 Amazon への リンク 》
→ 完全なる証明